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逢坂の関

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ausakayama
近江名所図会 逢坂山  一名手向山
手向といひて往古、旅行く人かならず山の嶺にて絹あるいはいろいろの紙をぬさとして、四方へちらし道祖伸へ手向しなり。
その手向はこの山にかぎるにはあらねども、都より出でて、まづさしかかる嶺なれば必ずこの所にて手向せいゆゑに手向山の名もあり。
ゆゑに嶺を今タフゲといふは、すなはちたむけの転語なり<契沖説>。
『後撰集』 恋四 名にしおはばあふ坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな  あふさか山の歌、数多かれども略す
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車石(くるまいし)

大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資を運ぶ道として利用されてきました。
江戸時代中期の安永八年(1778)には牛車だけでも年間15894輌の通行がありました。この区間は、大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、通行の難所でした。
京都の心学者脇坂義堂は、文化二年(1805)に一万両の工費で、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に牛車専用通路として、車の轍(わだち)を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てました。これを「車石」と呼んでいます。
大津市・藤尾学区自治連合会   平成七年(1995)二月

関蝉丸神社下社

 関蝉丸神社下社(せきせみまるじんじゃしもしゃ) 大津市逢坂1丁目15-5
拝殿
 内幣殿
本殿  祭神:豊玉姫命
 中臣稲荷神社
関の清水    関清水神社

近江名所図会 「関清水 石清水」

今八町の蝉丸の社内にあれども、長明『無名抄』に、その時すでに水かれたるよし見えたれば、今さだかにそれとも思われず。されども八町明神前の町を関寺清水町といへばこの辺とは見えたり。

『古今』雑体       君が代にあふ坂山の石清水こがくれたりと思ひけるかな  忠岑

この歌にて見れば、茂みたる木陰にある岩間などより涌き出たるなるべし。

『拾遺』秋  延喜の御時、月次の御屏風に

                           逢坂の関の清水に影見えて今やひくわん望月の駒  貫之

貴船神社  天満宮
大神宮神社

関蝉丸神社上社

関蝉丸神社上社(せきせみまるじんじゃかみしゃ) 大津市逢坂1-15-6

近江名所図会 「関大明神蝉丸宮」
せみ丸の事は下に論ずべし。この山中の町より八丁の間は、関清水明神とともに並せ祭る。上事九月二十四日。但し二十一日より清水明神へ神輿をうつし奉り、二十四日またこの社へ還御あり。これ神事なり。いずれを御旅所ともわけがたし。
拝殿
本殿

祭神:猿田彦神・蝉丸大神

国分聖徳太子堂

国分聖徳太子堂(こくぶたいしどう)   大津市国分1
聖徳太子二歳像
元享元年(1321年)法眼宗圓の作。
明治2年に石清水八幡宮より移された。
日本帝国褒章之記

明治27年緑綬褒章受賞
眞田武佐衛門君少より志を残業に励まし力を茶業の振起湖魚の繁殖米質の改良等に致し・・・・。                                                明治44年5月 従3位勲四等前田正名