朝鮮通信使と宗安寺


伝 朝鮮王朝高官肖像画 絹本着色
明治10年(1877)の宗安寺什物帳に「朝鮮人赤装束真向人物」とだけあり、李進煕氏は衣服の模様から通信使正使クラスの高官とみる。(『李朝の通信使』)
また金巴望氏(高麗美術研究所)は「胸につけた胸背の鳥は鶴ではなく鷺で中国・明の高官像ではないか」と指摘し、肖像画について新たな見解が出されている。(内脇正人著「朝鮮人街道」をゆく)

宗安寺

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宗安寺(そうあんじ) 彦根市本町2-3-7
赤門は佐和山城大手門を移したもの。

本堂 元禄14年(1701)10月7日の彦根大火で焼失するも、翌年長浜城の御殿を拝領し本堂とす。

本尊:阿弥陀如来
慶長20年(1615)5月大阪夏の陣で、井伊家家臣・所藤内氏が仏間より持ち帰った淀君の念持仏。

地蔵堂

水子地蔵 子育地蔵

行者堂

鐘楼

木村重成公首塚

血染めのすすき
彦根藩士安藤長三郎は豊臣方の木村重成の御首をすすきに包み、彦根で首実検の後、菩提寺に弔った。
その折のすすきは佐和山下に根付いたが、鉄道敷設により中腹の佐和山神社に移すも、昭和13年(1938)廃社となり、隣地の井伊神社に移すも弱ったため、当寺に移した。

花の生涯



歴代井伊直弼役男優

井伊直弼像


彦根藩が統治した300年間、領内に廓や料亭の開業を禁止したという。
湖東第一の歓楽街袋町が「売女芸妓渡世」を認可されたのは明治4年のことだから、『花の生涯』のヒロイン村山たかが芸妓となるには京都に出るしかなかった?