ブルー・ハワイ

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ご存じ映画『ブルーハワイ』はハワイを舞台にエルヴィス・プレスリーの歌いっぱいの青春映画。
1962年に公開され、海外旅行は夢のまた夢で、美しいハワイの風景に魅了されました。
55年前のシネマの風景と今の風景をGoogle Street Viewで比べてみました。
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ダイヤモンドヘッド麓には「カイマナ・ホテル」(現ニューオータニ カイマナ ビーチ ホテル)が、左手に建築中のビルは?
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ワイキキビーチを飛ばす真っ赤なMG。
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中央にモアナ・ホテル。デュークカハナモク像は生誕100年を記念して1990年建立ですからまだありません。
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恋人メイル(ジョーン・ブラックマン)がチャド(エルビス)を迎えにスピードを出し過ぎて白バイに停められるシーンにアラモアナビーチパークが使われています。(空港とは方角が違いますが・・・)
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恋人たちが行きつく藁葺小屋は何とハナウマベイにあります。b009-2
こうして見ると、案外変わっていないものですね。

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ハワイの音楽

ハワイ研究への招待』 関西学院大学出版会 (2004/04)に矢口裕人氏が私の好きな「HAPA」のことが取り上げていますので紹介します。
hapaはハワイ語で「半分・混合」という意味で、ニューヨーク出身のバリー・フラナガン(Barry Flanagan)とマウイ島出身のケリイ・カネアリイ(Kelii Kanealii)が1983年に結成されました。

ジェームズ・クックが到来する以前のハワイに現在の「音楽」に相当するものがあったとすれば、それはメレ(mele)だった。
メレにはメレ・オリ(mele oli)とメレ・ブラ(mele hula)があり、前者は一般的に祈りの独唱で、後者は祈りの言葉に踊りが伴うものだった。
今日「フラ」として広く知られる踊りの起源である。
メレ・フラがさらに欧米の音階を取り入れ、19世紀後半から20世紀にかけてメレ・クイ(mele ku’i)というジャンルも成立した。ハワイの音楽と言われるものに共通点があるとするのならば、ローカルの音楽が欧米やアジアなどの音楽と交わるなかで生み出されていったという、過程そのものであろう。
そのような交わりのなかで、従来からハワイにあるものは変化を強いられることもあったし、失われてしまったこともあった。
しかし同時に外部からのさまざまな要素を取り込み、新しいかたちのものを生み出し、それがハワイの外の音楽に影響を及ぼすということもあった。バリー・フラナガン(Barry Flanagan)は、ハワイ先住民でもなければハワイ生まれでもない彼は「ローカル」の人間ではない。
しかしハワイで活動を始めてから約20年間、その類まれなギターの腕でスラック・キーを修得し、ハワイをテーマとした曲を数多く作り、チャールズ・カウプ(Charles Ka’upu)の協力のもとにチャントを曲に取り入れ、ときにはハワイ語で歌い、ハワイ先住民の権利回復運動に共感を表明してきた。
さらに北米や日本でハワイ出身の人気デュオとして演奏活動を続けながら、世界のさまざまな音を自分たちの音楽に取り入れてきた。バリー・フラナガンとケリイ・カネアリイのふたりがパパとしてのデビューを果たしたアルバム『HAPA」(1992年)にはハワイのフラ界の大御所として長いあいだ「アンティ」と親しまれていたエディス・カナカォレ(Edith Kanakal’ole)が作った「カ・ウルウエビ・オ・ケ・カイ」(Ka Ulueh1 0 Ke Kai)という名曲が含まれている。

フラナガンとカネアリイのギターときれいな歌声を背景に、バンジョー、ハーモニカ、ギターの音が取り入れられ、アメリカのカントリー・ソングのような感じに仕上がっているのだ。
2002年に出されたケクヒ・カナへレ(Kekuhi Kanaele)の3枚目のアルバム『Honey Boy』にも「カ・ウルウエビ・オ・ケ・カイ」が含まれている。

カナカオレの孫にあたるカナへレのアレンジは彼女の歌声にギターとベースを加えたシンプルなものだ。
ふたつの「カ・ウルウエヒ・オ・ケ・カイ」はずいぶんと違う。ハワイでは既存の曲をどのようにアレンジできるかによって演奏家たちの力量が試されるようだ。
だからデビューしたての若者から大ベテランまで、「カ・ウルウエヒ・オ・ケ・カイ」のような「定番」をそれぞれの個性を出しながら演奏しょうと努力する。
興味深いことに、ハワイで広く親しまれ、さまざまなかたちでアレンジされ続けてきた曲の多くはハワイ語で歌われるものだ。

「カ・ウルウエビ・オ・ケ・カイ」はハワイの海辺にあるリポア(lipoa)という植物の美しさを請えたものだが、ハワイ語がまったくできないはずの人たちでもこの歌詞だけは知っていて、曲に合わせて歌っていることもある。

長谷川久美子さんのブログに歌詞が掲載されています。

Ka Uluwehi O Ke Kai
Plants of the Sea
Words & Music by Edith Kanaka’ole
He ho’oheno ke ‘ike aku
Such a delight to see
Ke kai moana nui la
The great big ocean
Nui ke aloha e hi’ipoi nei
So familiar and very cherished
Me ke ‘ala o ka lipoa
With its fragrance of the lipoa

  He lipoa i pae i ke one
It is lipoa which washed ashore
Ke one hinuhinu la
Onto the shiny white sand
Wela i ka la ke hehi a’e
Hot from the heating sun as you step on it
Mai mana’o he pono keia
Don’t think that this is fun

Ho’okohukohu e ka limu kohu
How enticing is the display of limu kohu
Ke kau i luna o na moku la
Atop the rocks
‘O ia moku ‘ula la e ho
Enticing one to pick them
‘Oni ana i ‘oi ‘ane’i
As they sway to and fro

Ha’ina mai ka puana
Let the story be told
Ka lipoa me ka limu kohu
Of the lipoa and the limu kohu
Hoapili ‘oe me ka pahe’e
Close companions of the pahe’e
‘Anoni me ka lipalu
Intermingled with the lipalu

海草
作詞・作曲:イーディス・カナカオレ
訳:長谷川久美子


心が和む眺め
広く大きな海
とても親しく、大切に思う
リポアの香りがする
砂浜に打ち上げられたリポア
光り輝く砂
砂を踏むと、太陽の光に晒されていて熱い
これは楽しいこととは思わないで
リム・コフの姿に気を引かれる
岩の上にある
採りたくなる
ゆらゆら揺れると
話を繰り返すと
リポアとリム・コフ
パヘエヘエの親しい仲間
リパルと絡み合って

Q’s MALL 尼崎


”あまがさきキューズモール”は東急不動産のショッピングセンター。
1階に「メモリアルウォール」としてパネル展示がありましたので紹介します。


阪神・淡路大震災の翌年、キリンビール尼崎工場が操業停止し、神戸市北区の新工場へ移転。
尼崎市の区画整理事業「あまがさき緑遊新都心」の核としてショッピングエンターが誕生します。

当初、「キリンガーデンシティ」として2007年オープンを目指すも、周辺整備が遅れて2009年10月に「COCOE(ココエ)」として開店。
核テナントはアル・プラザと阪神百貨店です。

2012年2月に東急不動産に土地建物を売却され、2013年10月に現在名に変更されました。
2016年1月11日、「あまがさき阪神」は1階の食料品売場「阪神デイリーマート」を残して、尼崎市唯一の百貨店は閉店。

4月22日「超スベらないリニューアル」と称して、「OLD NAVY」「GU」などの若者ファッション店と、残ったアル・プラザ等で、「多世代で楽しめる“毎日ちょっと、ええかんじ”なショッピングセンターに進化」したとのこと。

吉川八幡神社


吉川八幡神社(よしかわはちまんじんじゃ) 豊能郡豊能町吉川936

元禄8年(1695)神社吟味帳によると平安時代の治暦年間(1065~1069)に清和源氏の祖・源満仲の三代目・源頼国の七男頼仲が吉川城在住の折に創建されたものと伝えられている。
享保20年(1735)と嘉永5年(1852)の2度の火災により社殿が焼失。
現在の本殿は安政3年の檜皮葺・総欅造り。


拝殿

本殿 祭神:応神天皇

弁財天社・多賀社・稲荷社・皇大神社