広隆寺


広隆寺(こうりゅうじ) 京都市右京区太秦蜂岡町32

広隆寺沿革
広隆寺は推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。
この寺の名称は、古くは峰岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般に広隆寺と呼ばれている。
広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。
秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第15代応神天皇16年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも努め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。
我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探求、仏法への絶対的な帰依、そして〝和を似って貴しと為す〟平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。
広隆寺は弘仁9年(818)に火災に遭ったが、秦氏出身で弘汲大師の弟子である道昌僧都によって再興、更に久安6年(1150)にも炎上し、復興された。
このように、度々の災禍にも拘わらず、多くの仏像が現在も護持されている事を思うと、これらの仏像がいかに強い信仰の対象であるかが、うかがわれる。

薬師堂
阿弥陀三尊立像 薬師如来立像 不動明王 弘法大師 理源大師 道昌僧都を祀る。


講堂(重要文化財)
講堂は永万元年(1165)に再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂という。
中央に西方極楽浄土で説法をされている印を結ぶ阿弥陀如来坐像(国宝)、地蔵菩薩坐像(重文)、虚空蔵菩薩坐像(重文)を祀る。


地蔵堂
平安時代に我国繁栄の為に弘法大師が諸人安産、子孫繁栄の御誓願に基き御製作になった腹帯地蔵尊である。


上宮王院太子殿
享保15年(1730)に再建された入母屋道の堂。
本尊に聖徳太子像を祀る。この太子尊像には、太子の倖徳功業を景仰せられる歴代天皇が、即位大礼に御着用の黄櫨染御袍の御束帯が即位後贈進されて各天皇御一代を通じて御召しになるならわしである。
毎年11月22日の聖徳太子御火焚祭に特別開扉。


太秦殿
太秦明神、漢織女、具秦女を祀る。

桂宮院
桂宮院本堂(国宝)別名八角円堂(非公開)
聖徳太が楓野別宮を起こされたところと伝えられ現在は広隆寺の奥の院と称される。
現在の建物は建長3年(1251)に中観上人澄禅により再建された。

弁天杜

鐘楼
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